・「自分がどうするか」だけを考えればいい
・自由とは、他者から嫌われること
嫌われる勇気の内容は、”自己中心的でいい”とも思える多くの誤解を生んでいます。
その人生哲学とも思想とも言えるアドラーの考えは、とてもシンプルです。
アドラーは、フロイトやユングと並び心理学の三大巨頭とされています。
「嫌われる勇気」の中でもアドラーは、”すべての悩みは対人関係“だと断言します。
“孤独でさえ他者が必要“だと。
シンプルだからこそ誤解されがちです。
誤解されやすい点は2つあると思っていて、
・「私がどうするか」だけを考えればいい
・自由とは、他者から嫌われること
この2つが”自己中心的でいい”とか”嫌われてもいい”という、誤解を生むんじゃないかなと思います。
モラルもマナーもなしに好き勝手に振舞えば、ただの嫌われ者になってしまいます。
だから大前提として、常に自分を高める努力は絶対に必要です。
自己改善や自分磨きが前提にあるからこそ、嫌われる勇気の内容を理解して実践することで生きやすくなるんだろうと思います。
嫌われる勇気の内容は、人間関係に悩む全ての人におすすめ
『嫌われる勇気』は、200万部を突破するほど売れています。
あなたの周りにも”タイトルは聞いたことがある”、”本屋で見かけたことくらいはある”人もいるかもしれません。
人間関係に悩みを持つこんな人におすすめの内容です。
・他者評価を気にしてしまう
・嫌われることを必要以上に恐れる
・見返りを期待してしまう
人目をやたら気にする、過剰な自意識は人間関係のストレスの原因になります。
アドラーは『嫌われる勇気』の中で「自由とは、他者から嫌われること」と言っています。
嫌われるような生き方を推奨しているわけではありません。
みんな自分の”善”に生きています。
多くのことを良かれと思ってやっています。
これはある経営者もおっしゃっていたんですが、”正義”の反対語は”悪”ではないんですね。
正義の反対は「別の正義」だと。
『嫌われる勇気』の内容はどれも大事なんですが、僕なりに大事だと思うキーワードを絞ると3つに集約されます。
・自己受容
・他者信頼
・他者貢献
この3つです。
「自分と他者を受け入れ、自分を活かし人の役に立つことが幸せ」
嫌われる勇気から読み取れるアドラーの人生哲学と思想を、僕はこのように解釈しています。
『嫌われる勇気』の内容に限らず、多くの人が世界はシンプルだと主張します。
悩みの少ない人や、フットワークの軽い人は頭がスッキリしていてシンプルにこの世界を見ています。
反対に悩みが多い人は、頭の中も複雑に散らかっていて世界も複雑に見えていると思います。
ストレスの中で、変えられるものと変えられないものを見極めることが出来ると、変えられないものを何とかしようとすることが無くなります。
変えられるものだけに集中できるので、大幅なストレス減にもなります。
嫌われる勇気の内容から僕が受け取った、アドラーの7つのメッセージ
今のあなたも僕も、自ら望んで今のライフスタイル(性格・習慣など)を身につけました。
ほぼ無意識的にだと思いますが、僕たちはその時その時の感情で”生き方”を選んでいます。
幸せだと感じる・不幸せだと感じる。
運が良いと思う・悪いと思う。
僕たちは事実そのものではなく、事実の解釈を体験しています。
『嫌われる勇気』の内容を読み、僕がアドラーから受け取ったメッセージは7つあります。
人間関係に悩んでいた当時の僕にとっては目からウロコの考え方もあったので、ぜひ参考にしてみて下さい。
人は変われる!過去に縛られず、未来の目的を見据えて今を生きろ!
『嫌われる勇気』の内容でまず衝撃を受けるのが、トラウマを否定されることです。
原因があってその結果が起きるという原因論が一般的でした。
僕も長らく原因論で生きてきました。
アドラーが提唱する目的論とは、原因に関係なく、人は目的にそった行動をとるというものです。
アドラー心理学では、明確にトラウマを否定します。
例えば原因論では、”就職試験に落ちた”のは、
・「勉強してこなかったからだ」とか、
・「面接での質問に沈黙してしまったからだ」とか、
・「自分は体育会系じゃないからだ」とか、
過去のどこかに原因があって、それが”就職試験に落ちた”という結果として現れていると考えます。
しかし、アドラーの言う目的論の場合は”就職試験に落ちた”のは、
・「周りに勧められたけど、本音は乗り気じゃなかった」とか、
・「就職試験に落ちたら、フリーターでもしょうがないと思ってもらえるかな」とか、
・「堅苦しい社風がホントは少し気になっていた」とか、
何かの目的を達成するために、”就職試験に落ちた”という結果として現れていると考えます。
“『嫌われる勇気』の内容は厳しい”と言われます。
過去に支配されそれに縛られて生きるか、未来の目的を見据えて、言い訳せず生き方を再選択するかを問われるからです。
経験どんな意味を与えるかによって、過去の出来事はトラウマにも学びにも変わります。
僕たちは事実を体験しているのではなく、事実の解釈を体験しています。
嫌われる勇気にも、次のような言葉が書かれています。
大切なのは、何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うか
僕たちは「もしも○○だったら…」と、言い訳することで可能性の中に生きることが出来ます。
言い訳することで、「このまま変わらない」という決心をしています。
嘘みたいな話ですが、僕はずっと赤面症を持っていました。
女性としゃべると、心臓がドキドキして鼓動が速くなり、顔がポカポカと火照ってくるのが自分でも分かるほどでした。
僕は、”赤面症のせい”でずっと彼女が出来ないと思い込んでいました。
女性慣れをして、普通に喋れるようになると、いつのまにか赤面症は治っていました。
このまま変わらない”今まで通り“の方が楽です。
だから、未来を変えないような選択を無意識的に取ってしまいます。
僕の場合だと、女性との関係で傷ついたり、恥をかいたりしないようにしていました。
赤面症を理由に、女性と絡まない言い訳にしていたんです。
人生は他者との競争ではない
僕たちはみんな客観的事実ではなく、主観的な解釈で世界を見ています。
アドラーいわく”すべての悩みは対人関係”なので、究極的には個人だけで完結する悩みは存在しないことになります。
自分の短所、コンプレックスや劣等感で自分を嫌いになる時も、他者の影が存在します。
コンプレックスや劣等感は、悪い面だけではなく良い面もあります。
『嫌われる勇気』の中では、優越性の追求という言葉で表現されます。
劣等感は、向上心や理想の追求・自分磨きに繋がる使い方が出来れば、努力や成長の促進剤になります。
他者との比較で自分の能力の無さに凹んだりすることもあると思います。
比較していいのは、”理想の自分とだけ”というルールを決めておきましょう。
理想の自分との差を埋めることだけに集中すれば、人と比べて落ち込むこともないです。
嫌われる勇気の中で、人間に優劣がないことをあらわす、僕が好きな表現があります。
それが平らな地面です。
平らな地面の前を歩いている人もいれば、後ろを歩いている人もいる。
年上の人、会社の先輩やある分野で自分より上手くできる人などは、前を歩いているんだと考えてみて下さい。
僕たちは、すぐに上下で人間関係を見てしまいます。
すぐに優劣をつけたがります。
人間に優劣なんか無いということが腑に落ちれば、必要以上に落ち込んだり自分を責めたりすることも無くなるんじゃないかなと思います。
前を歩いている人は、手本にさせてもらって、マネすればいいんです。
自らが前に進もうとすることに価値があります。
苦手を克服しようとか、新しいことに取り組もうとすることにすでに価値があります。
人を許せなかったり、人の幸福に嫉妬してしまったり、自分の間違いを認められなかったりすることもあると思います。
僕は嫌われる勇気の内容を理解して、自分が”いかに他者との競争の中に生きていたか“を知りました。
どんな自分も受け入れることを自己受容と言います。
人を許せない、嫉妬する、、自分の非を認められない。
自分の嫌なところをあげればキリがありませんでした。
・自分の間違いを認めること
・謝罪すること
別に恥ずかしいことではありません。
それよりも「自分は正しい」と主張し続けてケンカする方が恥ずかしいと思っています。
嫉妬・怒りなどは、人を自分と同じレベルだと思って競争するからわき上がってくるものです。
幼稚園児の甥っ子が、あなたの彼女のおっぱいをモミモミしていても、怒りや嫉妬はしないでしょう。
それが、年齢や立場があなたに近ければ近いほどそういった感情もわきやすくなります。
まずは、そういった権力争いの舞台から降りることです。
ストレスフリーに心穏やかに自分らしく生きたいなら、”競争”というリングから一刻も早く降りることです。
“人との競争“や”人との比較“だけで自分を評価しているとしたら、結構息苦しいはずですよ。
他者の課題を切り捨てろ
僕たちには、承認欲求という認められたい・褒められたい願望があります。
承認欲求が大きくなりすぎると、他者からの評価を気にして他者の人生を生きることになります。
褒められたり・認められたりすることは、確かに嬉しいことです。
お利口さんな人ほどこの傾向が強まり、進路選択や就職で誰かの期待を満たすような行動をして、自分の行きたい方向を見失ってしまったりします。
他人の期待なんて満たす必要はありません。
嫌われる勇気の内容のキモとも言えるキーワードが「課題の分離」です。
期待するのは他者です。
その期待に応えるかどうかは自分が選べます。
この”自分が選べる部分”にだけ集中します。
人間関係のトラブルは、この自分の課題と他者の課題を混同して、他者の問題に踏み込むことで起こります。
子供が宿題をするかどうかは、子供の課題です。
注意は必要でしょうが、そこに親が必要以上に踏み込んでしまうとトラブルのもとです。
「誰の課題か?」を見極めるヒントは、「最終的な結末を引き受けるのは誰か?」と考えて見ればいいんです。
宿題や課題を提出しないことで、困るのは本人です。
アドバイスやサポートを求められたら、助ければいいと思います。
頼まれてもないのに口を挟んだり手を出したりするのは、過干渉なんだと思います。
人間関係のトラブルは、他者の課題に自分が踏み込むか、自分の課題に他者が踏み込んでくるかによって起きます。
夫婦の問題に、隣近所の人がいちいち口を出して来たらうっとうしいですよね?
自分の着ている服に、親がいちいち評価を下して来たらどう思いますか?
他人の視線や評価に怯えてしまうなら、「誰の課題か?」ということに注目してみて下さい。
馬を水辺に連れていくことはできるが、水を飲ませることはできない
『嫌われる勇気』の中でも紹介されることわざです。
馬を水辺に連れていくところまでは、できるけど最終的に水を飲むかどうかは馬の気分に任せるしかありません。
自分がやったことに相手がどんな評価をするか、どんな気分になるかは相手に任せるしかありません。
自分でコントロール出来ないことに線引きをして、ばっさりと切り捨てることで不要な悩みがなくなります。
近しい関係ほど、人との距離感を無視した「あなたのため」という横暴な押し付けが起きがちです。
他者からの承認を必要とする人ほど、人目を気にする傾向が強くなります。
自己承認(自己肯定感といわれるやつ)ができれば、他者承認がほとんど必要無くなります。
自分と他の人は仲間であり別の人
アドラーは、人生の課題は仕事・交友・愛の3つ。
行動面の目標は2つだけだと言います。
1.自立すること
2.社会と調和して暮らせること
とってもシンプルです。
対人関係のゴールは共同体感覚だとも言います。
自己中心的発想から解放され、家庭や学校・職場だけでなく、国家・人類など自分を取り巻く環境全てが、自分の仲間的な感覚を持つことが出来れば、生きるのがとても楽になります。
他者の課題に踏み込むことなく、自分の価値観を押し付けることもないように気をつけます。
僕は、人間関係は距離感がとても大切だと考えています。
すぐ理解するのは難しいと思います。
僕も全ての人と完璧な距離感を保てているわけじゃないので、日々勉強だと思っています。
他者からどう見られているかばかり気にする生き方は、精神的にものすごく疲れます。
僕も以前は人の目や評価ばかり気にしていました。
でもそれは、自分にしか関心を示さない自己中心的な生き方なんだと『嫌われる勇気』を読んだことで気づかされました。
自分への執着を他人への関心に変えることで、人からの評価に縛られた生き方から脱却できます。
僕たちはしばしば自分が世界の中心にいるような感覚に陥ってしまいます。
僕たちはあくまで世界の一部です。
人間関係が壊れることだけを恐れて、本音も言えない関係ってどうなんですかね?
人の評価にビビりまくって、人に合わせまくっているなんて、不自由な生き方だと感じませんか?
お互い違う価値観を持った人間同士なんだという意識を持てば、意見が違うだけでイラっとしたりしません。
人に期待するな
怒りは、”自分が正しい”と思い込むことで起きます。
“1人1人が価値観の違うを持った別の人間”だと理解できていれば、自分が言ったことに人がどんな反応をしても、そこで完結すべきです。
もちろん、見返りを求めるのは自由です。
見返りを求めることは、人間関係のトラブルを招くきっかけになってしまいます。
自分がしたことに見返りを求めて、期待したことが返ってこないと怒るなんてちょっと自己中心的すぎると思いませんか?
みんな大好きな”さりげない優しさ”は見返りを求めない優しさだから喜ばれます。
貢献することこそ喜び
『嫌われる勇気』では、”褒めてはいけない“というちょっと衝撃的な言葉に出会います。
その代わりに”勇気づけ“を使います。
アドラーいわく、褒めるという行為は「能力のある人が、能力のない人に下す評価」だというのです。
そう言われたら、そんな気もしますよね。
子供に「偉いね」と言っても、上司や先輩に「偉いですね。」とは言わないですよね?
だから、人は褒められることによって「自分には能力がない」という信念を形成していくんです。
「褒めるor叱る」という「アメとムチ」の背後にある目的は、操作や支配です。
アドラー心理学では、縦の関係を真っ向から否定します。
すべての人間関係で縦の関係ではなく、横の関係を築けと。
縦の関係を持ってしまうから、人は劣等感を抱いてしまうのだと。
親子、先生と生徒、先輩と後輩って完全に縦の関係じゃない?
僕たちは生まれてから当たり前のように、縦社会で生きてきているように思います。
それに慣れきっていると、アドラーのこの思想は受け入れがたいかもしれません。
健全な親子関係であれば、お互い意見が言い合えると思います。
『嫌われる勇気』に出てくる”同じではないけど対等“というのが一番理解しやすいのは、親子関係かなと思います。
上司と部下であっても先輩と後輩であっても、同じではないけど対等なのは変わりません。
もちろん関係的には知識の量や経験は違うと思いますが、人間的な価値の優劣はありません。
対等な関係であれば、褒める&叱る以外に普段使っている言葉がありますよね。
「ありがとう」「助かった」という感謝の言葉は、相手が目上であっても後輩にも使いますよね。
人は感謝の言葉を聞いた時、自分が他者に貢献できたことを知るのだそうです。
感謝の言葉は、相手の自己肯定感(自尊心)を上げることに貢献できるんです。
あなたの言葉によって、相手は「自分には価値がある」と思えるんです。
一番最強なのは、他者から「良い」と評価されることではなく、主観によって「私は他者に貢献出来ている」「役に立っている」と思えることです。
究極の自己満足で良いんです。
「貢献感」こそが大事なんです。
誰に感謝されなくても、自分が良いと思ったことを貫く。
なんかカッコよくないですか?
僕は、そんな人間になりたいですね。
愛は信頼
信用と信頼の違いって考えたことありますか?
『嫌われる勇気』では、明確な違いを示してくれます。
信用は、条件付きで相手を信じること。
銀行なんかが担保をもとにお金を貸してくれる場合などは、信用です。
信頼は、条件なしで相手を信じること。
子供がどんな悪さをしても、必ず更生すると信じる。
根拠のない自信も、自分を信頼するということかもしれません。
「○○だから」という条件付きで他人を信じることはできるかもしれません。
しかし、他人を無条件で信じることが出来る人がどれだけいるでしょうか?
相手を条件付きでしか信じられないは、他者との関係で裏切られたりして、”傷つかないこと”が目的だったりすることに気がつきます。
相手を信頼することで、時には自分が損をするかもしれないのです。
それでも、相手と深い関係を築こうと思えば、やっぱり相手を信頼するしかないのかなと思います。
相手を信頼するコツがあります。
それは、他者を評価しないということです。
「良い」「悪い」という評価をせず、事実だけをありのままに見ることで、相手を信頼できるのかなと思います。
相手を信頼できる人が、愛のある人と呼ばれるんだろうと思います。
悩みを消し去るには、宇宙の中にただ1人で生きるしかない
『嫌われる勇気』は、自分が悩んでいることや人間関係に対して、考えるきっかけを与えてくれる内容になっています。
その中でも、上記の言葉は心に深く染みましたね。
生きている以上悩みは消えないのかもしれません。
しかし、『嫌われる勇気』を読んで、心が軽くなった人が多くいるのもうなずけるほど、時に厳しく、的確な言葉でズバズバと言い表してくれます。
嫌われる勇気の内容は幸せ人生のヒント
『嫌われる勇気』の内容は、答えを教えてくれるというよりは、ヒントをたくさんもらえる内容になっています。
『嫌われる勇気』は、本のカバーを剥いで僕が事あるごとに読み返している人間関係のバイブルです。
1.人は変われる。変わらないと決断しているのは自分自身
2.人生は他者との競争ではない。自分の人生を生きる
3.他者の課題を切り捨てる
4.1人1人違う人間。しかし、周りの人は「敵」ではなく、「仲間」
5.人に期待はかける(勇気づける)が、期待はしない
6.「褒める」のではなく、「感謝」する
7.人に無条件の信頼をよせる。貢献することこそ喜び
このような言葉も出てきます。
人生の答えは教えてもらうのではない。自分で導き出すものだ。
アドラー心理学が全て正しい答えを教えてくれるわけではありません。
アドラー心理学は、他者を変えるための心理学ではなく、自分が変わるための心理学です。
道は開けるや人を動かすなどの著者デール・カーネギーや7つの習慣で知られるスティーブン・コヴィーもアドラーの考え方に影響を受けたとされています。
僕たちが出来ることは、自分の信じる最善の道を選ぶことです。
その選択に他者がどう反応するか、どう評価するかなどにかまっているヒマはありません。
それはもう他者の課題です。
あなたにも僕にも、どうすることも出来ません。
一番いけないのは、”何か変えなくては”と思いながら”今のまま”を選ぶことだと思います。
もちろん得意不得意や向き不向きがあるのは百も承知です。
でも、生きていく上で克服すべき課題にも出会うはずです。
コミュニケーションがめちゃくちゃ上手くなる必要はありませんが、ある程度コミュニケーションが取れないと、生きていく上で支障が出ます。
他者に貢献するという目的さえ失わなければ、自分の信じる道を堂々と歩けばいいんだと思います。
過去に執着せず、未来を必要以上に不安に思わず、今に強烈に集中できれば悩みのほとんどは気にならなくなります。
アドラーの「計画的な人生など、不可能」という言葉に僕も賛成です。
自分を高めることで、致命的な間違いを無くし、勇気をもって自分のすることにのみ集中する。
そうやって、今に意識を向けることが不安や執着に縛られた不自由な生き方を回避する唯一の手段なんじゃないかなと思います。
「普通であることにも勇気がいる」
案外普通でいることを選ぶことって難しかったりします。
「みんなと同じ」ではなく、自分の頭で考えた「普通」。
「みんながそうしているから」と周りに流されるのではなく、自分の頭で思考することってより良く生きていく上で、とっても大事です。