「昔は小さな事にこだわってイライラしっぱなしだったよ…今は怒ることも滅多にないね」
こんな風に生きられたらどんなに楽か、想像してみて下さい。
完璧主義な性格を手放し、趣味を思いっきり楽しめるようになったら?
完璧主義な性格を和らげ、穏やかな毎日が送れたら?
小さなミスにこだわらず、もっとおおらかに生きれたら?
あなたは今、ストレスフルな状態で、小さなミスが許せず、それがきっかけでどんどん落ち込み、自分を責め続け、何もかも終わったようにドヨ~ンと暗い気分になる事があると思います。
安心してください。
僕も昔、人から「細かすぎる!」と陰で言われていたり、自分のミスも人のミスも許せず、イライラすることが日常茶飯事でしたが、今は怒ることはほぼありません。
「完璧主義」それ自体はあなたの長所です。
エジソンやアップルのスティーブジョブズも完璧主義だったからこそ、電球やiPhone・Macbookを完成させることができました。
物事を妥協なくやり抜こうと自分に厳しい姿勢は、とても素晴らしいです。
一方で、理想の自分と現実の自分とのギャップに苦しんでいませんか?
完璧主義な性格のまま、完結思考や実験思考になれば上手くいく
完璧主義の人は、100%ミス無く物事が上手くいくことに深い満足感を得ます。
反対に、少しでもミスがあると、そこにとらわれ過ぎて落ち込んだりイライラしたりしてしまうこともあります。
完璧主義な性格は、あなたの長所なので、これを無理やり変える必要はありません。
上手くいかなかった時の対処の仕方を変えれば、全て丸く収まります。
エジソンは、電球を発明するまでに10,000回失敗したと言われています。
ある時新聞記者から
「あなたは10,000回も失敗されたそうですね?」
と聞かれたエジソンは、平然とした顔でこう答えたそうです。
「失敗?私は失敗などしてないよ。ただ、10,000通りの上手くいかない方法を見つけただけさ。」
エジソンは、他の人が見れば失敗に見えることも、成功だと考えていた。
全ては上手くいくまでの実験だと。
あなたが学校の先生だったとしましょう。
夏休みの宿題を、完璧に仕上げたいあまり、新学期が始まっても提出できずにいる生徒と、間違いが多くても新学期にしっかり提出する生徒。
あなたはどちらを高く評価しますか?
僕達は生きていく過程で、ミスをして、そこから学び、修正しながらより良い方法を探していきます。
ミスを恐れるあまり、大事なことを見失い、周囲の信頼まで無くすといったことの無いようにしたいものです。
完璧主義な性格を変えるより、視点を変える
「上手くいかないから終わり」じゃなく「上手くいかないところがスタート」。
そんな考え方が出来るようになると、なんでも上手くいきます。
上手くいかない→改善点がわかる。
何に対してもミスなく出来る人はこの世にいないでしょう。
みんな何かしらの上手くいかない体験や経験を持っているはずです。
その対処の仕方次第で、結果が失敗にも成功にも変化します。
自転車に乗れた時や、仕事を覚えていった過程、車の免許を取った時のことを思い出してみて下さい。
上手くいかない経験があって、少しずつ修正していったから、自転車に乗れたり、仕事を覚えたり、車の免許を取れたはずです。
だから「完璧主義な性格を直そう」とか「変えよう」と、力を入れすぎないほうがいいです。
力が入りすぎていると柔軟な思考ができなくなってしまいます。
大事なのは、性格を変えることより、視点を変えて視野を広くすること。
完璧じゃないとイライラしてしまうのは、そこに才能が眠っているから
「イライラは才能の種」ということがあります。
店員さんの接客態度に、イライラしてしまうのは、「自分ならこうするのに」「もっとこうした方が喜ばれるのに」ということを、思いついてしまうからです。
料理の味にイライラしてしまうのは、「もっと出汁が効いていた方がおいしいのに」とか自分の知識の方が勝っているからです。
今、不平や不満を抱いている事には、あなたも気づいていない才能が眠っている可能性があります。
完璧よりもスピードの方が評価される
夏休みの宿題の例を出しましたが、「完璧にする」ってかなり至難の業です。
iPhoneにはアップデートや新型発売がありますよね?
僕達が普段使っているアプリにもバグがあったりします。
家電や車もリニューアルされて、新機能が追加されたり、飲食店で新メニューが追加されるのは、全て完璧じゃない証拠です。
世の中にあるものは、完璧なんじゃなくて、今の最善なんです。
世の中に完璧なものを探す方が、難しいんじゃないでしょうか?
今最善だと思われる段階で、世の中に出す。
世の中に出せば、新製品という形で、一旦完結します。
車の運転も完璧になるまで、教習所を卒業できないとしたら、一体何人合格できるでしょうか?
知識と技術が安全運転が出来るくらいの段階になったら、免許が取れます。
卒業という名の完結です。
完璧じゃなく、今の最善の選択をして、気づいた修正点はその都度直す。
このくらいの感覚で、前に進んでいければいいんじゃないでしょうか。
6割7割でも、OKを出す。
自分の評価は6割程度でも、それを喜んで受け取ってくれる人がいます。
物事を一旦完結させるというのは、考えを整理したり、片づけにも現れます。
完結させるのが苦手な人は、頭の中の悩みや問題が整理されず、ごちゃごちゃしていたり、部屋に物が多かったりする傾向もあるので、「部屋を見れば、その人の頭の中がわかる」という人もいるくらいです。
それって本当にこだわる必要あるの?本当に大事なことは何?
「洗濯洗剤はトップじゃなきゃダメ」「食器洗剤はジョイじゃなきゃダメ」「コーヒーはスタバじゃなきゃ飲まない」「1日3食決まった時間に食べなきゃダメ」
こんな人がいたら、友達になったり、一緒に生活したいと思いますか?
毎日ストレスを感じずにはいられないんじゃないでしょうか?
完璧主義な人は「○○じゃなきゃ」っていう思考が強い傾向にあります。
でも、本当にこだわるべきものでしょうか?
“質”にこだわるのは素晴らしいことです。
しかし”質”に縛られ過ぎるのも自分を苦しめるだけです。
上の例で行くと、洗剤は「汚れを落とすこと」が目的であって、メーカーにこだわることが目的ではありません。
コーヒーはスタバじゃなくても飲めますし、食事はエネルギーや栄養を補給できれば、何時でもいいはずです。
「○○じゃなければいけない」「こうあるべき」という思考は、視野を狭くさせ、イライラの原因になります。
完璧主義で自分も相手も疲れてしまう…
「○○じゃなければいけない」の続きになりますが、「女は料理ができなければいけない」「女はおしとやかでなければいけない」などに縛られていると、本当の自分がわからなくなりますし、出来ていない自分に苦しむことになります。
出来ていない自分に落ち込んでいる人に、あなたが慰め役になることもあると思います。
いつ会ってもネガティブな雰囲気の人と、また会いたい・喋りたいと思いますか?
始めは、慰め役に徹していても、会うたびにいつもだと、こちらも疲れてしまいますよね?
視点を変えて、視野を広く持つことは、相手を疲れさせない気遣いにも繋がってきます。
減点方式は自信を失い、加点方式は自信を生む
マイナス思考とプラス思考だと、一般的にプラス思考がいいとされています。
では、「なぜプラス思考の方がいいか」考えた事はありますか?
僕は、理由も分からず自己啓発でありがちな「自分は出来る」を連呼するようなことはオススメしません。
なぜプラス思考がいいのかというと、
プラス思考=加点方式、マイナス思考=減点方式
だからです。
「漢字に直しただけ」って言われれば、その通りです(笑)
加点方式で人や物事を見られれば、良いところが目につきます。
「○○が出来た」「○○なところが良い」というふうに。
逆に、減点方式で人や物事を見ると、悪い点が目につきます。
「○○が出来ない」「○○なところが嫌」というふうに。
だから、同じ人を見てもネガティブな思考な人から見れば、「あの人は優柔不断だ」と思えても、ポジティブ思考の人から見れば、「あの人はよく考えてから決める人」と思います。
人や物事を良い面から見るか悪い面から見るかだけの違いです。
この小さな違いが、気分に大きな差を生みます。
毎日ストレスを感じて生活する人と、ストレスを感じずに生活する人はこんな些細なことの違いです。
僕も、自分の事も減点方式で見てしまうと自信はすぐに失われます。加点方式で見ているからこそ成長を感じられたり、自信が湧いてきたりするんです。
完璧を手放せば、ストレスが激減し、生きるのが楽になる
完璧に出来ればカッコいいし尊敬されるし、良いことだらけなんだけど、僕ら人間はそんなに完璧じゃないんです。
もっと肩の力を抜くと、人間関係も楽になるし、仕事をする時も楽になる。
なんでも完璧にこなそうとする姿勢は素晴らしいが、常に緊張感が漂うその空気感で最高のパフォーマンスが出来るだろうか?
僕達が最高に力を発揮するのは、リラックスして楽しんでいる時だと言います。
視点を少し変えるだけでネガティブ思考(減点方式)にもポジティブ思考(加点方式)にもなれます。
視野を広く持つことで、完璧な人や物がいかに少ないか知ることが出来ます。
視点を変え、視野を広げることでおおらかになれて気持ちに余裕を持てます。気持ちに余裕が出来るとイライラすることが激減して、毎日ぐっすり眠れますし、人間関係がこじれて喧嘩になるようなことも無くなります。